2026-08-03 ・ 構造・視座系
空港の検査は、安全か安心のどちらを作っているか
空港の保安検査で、靴を脱ぎ、ベルトを外し、100mlを超える液体を捨てる。
この一連の手続きを、私たちは「安全のため」と理解している。だが、これらの検査が実際にどれだけテロを防いでいるかと問われると、答えははっきりしない。
セキュリティ研究者のブルース・シュナイアーは、こうした対策を「セキュリティ・シアター(安全劇場)」と呼んだ。実際の安全性をほとんど上げないのに、「対策をしている」という安心感だけを生む施策のことだ。
「やっている感」が目的になる
液体物の制限は、特定の事件をきっかけに導入された。しかしその後、100mlという基準に強い科学的根拠があるわけではないと指摘されてきた。靴の検査も、過去に一度あった事例への反応として始まり、慣習として残っている。
検査の本当の機能は、脅威を物理的に止めることより、「私たちは対策している」という姿を見せることにある。利用者は長い列に並び、面倒な手続きを踏むことで、逆説的に「これだけやっているなら安全だろう」と感じる。
問題は、安心感と安全性が必ずしも一致しないことだ。手間が増えても危険が減るとは限らない。むしろ本当に効く対策——目に見えにくい情報分析や水際の監視——に回せたはずの予算と人員が、目に見える劇場に吸い取られることがある。
「対策の量」と「効果」を取り違える
この構造は、空港だけのものではない。
エネルギー政策にも、似た現象がある。「再エネ導入目標○%」「CO2削減○%」といった数値目標は、わかりやすく、達成度を見せやすい。掲げること自体が「対策をしている姿」になる。
だが、目標の数字が動くことと、実際に系統が安定し、コストが下がり、排出が減ることは、別の話だ。導入量という見える指標を追ううちに、調整力の確保や送配電網の増強といった見えにくい部分が後回しになれば、全体としては脆くなる。数字は前進しているのに、現場は不安定になる、ということが起こりうる。
「どれだけ対策したか」は測りやすい。「その対策がどれだけ効いたか」は測りにくい。測りやすい方を成果として扱うと、劇場が肥大していく。
見せるための対策と、効かせるための対策
すべての見える対策が無意味だというわけではない。検査の存在自体が抑止になる面もあるし、数値目標が投資を呼び込む効果もある。
肝心なのは、その施策が「安心を作るためのもの」なのか「安全を作るためのもの」なのかを、区別して見ることだ。両者は重なることもあるが、ずれることもある。ずれているのに同じものとして扱うと、安心だけが積み上がって安全が置き去りになる。
空港で靴を脱ぐとき、それが自分の安全を高めているのか、それとも安心を高めているだけなのか。一度立ち止まって考えてみると、身の回りの「対策」の見え方が少し変わる。電気をめぐる政策のニュースを読むときも、その数字が安全を作っているのか、安心を作っているのかを見分ける目が効いてくる。
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