2026-09-16 ・ 社会・構造系
灯台は、料金を取れないから灯台になった
夜の海で、灯台の光を見た船から料金を取ることはできない。
光は届いてしまう。使ったかどうかを確かめる方法がなく、払わない船だけ光を消すこともできない。この性質のせいで、灯台は経済学の教科書で長く「市場では供給されない財」の代表例として扱われてきた。
誰もが便益を受け、誰も対価を払う理由がない。だから誰も建てない。建ってしまえば全員が助かるのに。
「あって当然」に見える設備の、裏側の会計
面白いのは、この問題が「灯台が要らない」という結論には決してならないことだ。
灯台がなければ船は座礁する。便益は明らかに存在する。存在するのに、それを回収する経路がない。だから制度が回収の経路を作るしかない。実際、灯台の費用は税や、港を使う船から集める料金といった形で、間接的に賄われてきた。
ここで起きているのは、費用の消滅ではなく、費用の付け替えだ。光を見た瞬間に払うのではなく、別の名目で、別のタイミングで払う。払っていることが見えにくくなるだけで、誰かが払っている。
見えにくくなった費用は、たいてい「無料のもの」として認識される。そして無料だと思われているものは、削られやすい。
停電が起きないことに、値段はつけにくい
電力にも、灯台とよく似た性質を持つものがある。
代表が予備力だ。需要が急に増えたときや発電所が突然止まったときに備えて、動かせる状態で待機している発電設備がある。この設備は、平時にはほとんど電気を作らない。作らないのに、維持費と燃料の準備と人手がかかる。
この設備が生む価値は「停電が起きなかったこと」であり、それは誰の請求書にも項目として立たない。恩恵を受けているのは、その日に電気を使った全員だが、誰も「今日停電しなかった分」を買った覚えはない。
灯台の光と同じ構造だ。全員が受け取っていて、誰も個別には払っていない。
自由化された市場は、この種の価値を素直には評価しない。市場が値段をつけるのは、取引された電力量に対してであって、待機していた時間に対してではない。動かなかった設備は、売上を生まない。
「無駄」に見えるものを、どう支えるか
だから制度の側が、別の回収経路を作ることになる。容量に対して対価を払う仕組み、調整力を確保するための仕組み——名前や設計は国によって違うが、目的は共通している。電力量の取引だけでは支えられないものを、別の名目で支える。
これらの費用は、最終的に電気料金の中に入る。託送料金や、各種の調整に関わる費用として、明細の奥に紛れている。
そこで、灯台と同じ認識の問題が起きる。項目として目立たないから、無料の設備に見える。無料に見えるものは、コスト削減の対象として真っ先に挙がる。
待機していた設備の価値は、それが使われなかった日には証明できない。証明されるのは、なくなって困った日だけだ。そして困った日に証明されたところで、そのときにはもう設備は無い。
灯台守がいなくなっても、光は要る
灯台の歴史には、もう一つ示唆がある。技術が進むと、灯台守という仕事は消えた。自動化され、無人になり、さらに衛星測位が普及すると、灯台そのものの役割も相対的に小さくなった。
それでも灯台は、完全にはなくならなかった。機械が壊れたとき、電波が届かないとき、そもそも装置を積んでいない小さな船にとって、光は最後に残る手がかりだからだ。
新しい技術は、古い仕組みの出番を減らす。だがゼロにするのは、その古い仕組みが担っていた「最後の一手」まで引き受けられるようになってからだ。この移行期には、両方を維持する期間が必ず生じる。両方を持つのは高くつく。
電力でも同じ移行が進んでいる。太陽光や風力が増え、蓄電池が入り、需要側で調整する仕組みも育ちつつある。これらが十分に育てば、待機する火力の必要量は減っていく。
だが「減る」と「要らなくなる」のあいだには、長い期間がある。その期間、私たちは新しい設備と古い設備の両方の費用を払うことになる。二重に見えるが、片方を先に外せば、外した瞬間に困る。
灯台守を減らすときも、順番は同じだった。代替が確実に効くと分かってから、元を外した。逆にはできない。
送電網も、同じ性質を持っている
送電網にも同じ話がある。
送電線は、そこを流れる電気の量に応じて費用が決まるわけではない。ピーク時に耐えられる容量で設計され、その容量ぶんの費用がかかる。あとは誰がどれだけ使おうと、設備の側の費用はほぼ変わらない。
だから費用を利用者に配分するとき、必ず不公平感が出る。たくさん使う人と少しだけ使う人が、同じ網を共有している。基本料金と従量料金を組み合わせるのは、この配分をどうにか折り合わせるための設計だ。
どう分けても文句は出る。使用量に寄せれば「あまり使わない人には有利すぎる」と言われ、基本料金に寄せれば「使っていないのに取られる」と言われる。灯台の費用を港湾料金で取るのが完璧な解でないのと同じで、完璧な解はない。
見えない費用を、見えるようにする
個人の側にできるのは、この構造を知ったうえで、自分の明細を読み分けることだ。
電気料金の中には、自分の選択で動かせる部分と、動かせない部分がある。プランや電力会社の選択で動くのは、主に電力量に対する単価の部分だ。一方、託送に関わる費用や、制度で決まっている賦課金は、どの会社を選んでもついてくる。
これを混ぜて「電気代が高い」と捉えると、打ち手が見つからない。電気料金の内訳を分解してみると、自分が動かせる範囲がどこまでかが見えてくる。
同時に、動かせない部分がなぜあるのかも分かってくる。それは、料金を取れない財を誰かが支えるための、回収の経路だ。夜の海で光を出し続けるための費用が、船の運賃のどこかに紛れ込んでいるのと同じように。
その費用が見えないからといって、存在しないわけではない。見えないものは、ただ削られやすいだけだ。
Wattlyは、電力の仕組みを独自の視点で解説するメディアです。電力に関する疑問・乗り換えの相談はこちらから。